July 11, 2012
集い
昼前、
久々のバロックダンス講習にタバサさんの新橋スタジオまで。
床にチェス盤をイメージした市松模様のマットが敷いてあり、そのマットからはみ出ないようにメヌエットを踊るのだ。それ以前、もはや踊るのが久々過ぎるわたしはステップがまず危うかったけれど…
因みに今回の集いはアリス・パーティとの名目で、ワンダーランド(若しくは鏡の国?)の住人の扮装がドレスコードではあったが、見事に女王様だらけでアリス不在(苦笑)
わたしに至っては、暑さにめげて派手な格好が出来ず「ワンダーランドに暮らす凡人」というキャラを勝手に作り軽装で赴く。
一通り踊ったあとは、軽食&おやつを戴きつつ、2月のウィンザーハウス舞踏会のビデオを見る。
わたしのカメラで撮ったものもあったので、だいたいの流れは実は見ていたのだけど、
皆で集まっての鑑賞会は楽しい。
素敵な文字入れ加工、記念写真も華麗なFLASHに編集され、見応え充分。
当時は進行を任されていたのだが、流石に吹き抜け2階部分からの撮影ではわたしの声は入らず…次回はマイクを使いましょうと言われた。
次回も司会、で良いのかな?(笑)まぁ、あの場所から踊る皆を見ているのも楽しいのだけど。殆ど玉座の真下なので女王が視界に入らないのだよね…
来年の舞踏会は何を着ようかな、と皆さん年々派手になっていくのだが、折角だからとどうしても着飾りたくなるのだ。
パーティの度にドレスを新調する貴婦人の気持ちも分からないでもない、お洒落したくなるね、貴公子も(笑)
今年の白も好評だったし好きなのだけどね、やっぱり主役カラーなので。
とりあえず帽子は私物で欲しいな。
その後、
一旦城へ戻り、流雨氏に三脚を返して横浜へ…
懐かしきテアトルフォンテの面々との再会。
わたしがあの舞台に立っていたのは…もう12年前の夏。鴨川とはその後もLes Miroirsに客演召喚してちょくちょく会ったりはしていたが、当時以来全く会っていないメンバーも勿論居た訳で物凄く楽しかった!
「仲間」は素晴らしい、なんて暑苦しいが、素直にそう思える、恐らくわたしが最も身を削って創作活動に捧げていた時代の、苦楽を共にした仲間達なのだ。
いや勿論自分の劇団の人々も愛すべき素敵な仲間ではあるのだけどね、やはり座長の立場上で一線引く部分がある訳だよ。
わたしは此処に入るまで、ただの根暗な映画マニアだった(笑)芝居はやりたいが学生演劇をやる気には到底なれず、最初に入った地元の劇団で主宰に文句を言って自分で脚本を書き換えて(いま思い返すと凄い子供だった)辞め、漠然とアートな事がやりたかったのだと思う。
「拘り」や「美意識」を貫くこと、舞台という総合芸術を作り上げるに至るプロセスを教えて貰ったのは此処での約2年弱。幼かった自分にはとても濃い時間だった。
わたしを何故か脚本班に入れたのも此処の講師だが、その流れが無ければLes Miroirsすら存在しなかったかもしれないと思うともう…ある意味原点なのだ。
因みに舞台衣装を自作し始めたのもこの頃から。自作の芝居に既製服で出るのは嫌だった、そんな意識が芽生えたのも此処で自我がはっきりしていったからだろう。
そうやって寝る間も惜しんで必死に作り上げたものも、つまらなければ容赦なく口立てで全て書き換えられるという(苦笑)モノや張り手の飛ぶ稽古場もこの時以来ない…しかしあの本気さは凄かった。
若さ故に加減も知らず、倒れるまで打ち込んだ。
「12年前の舞台」という歴史が自分に存在することに驚くが(笑)
あの僅かな月謝であれだけの(過酷な?)ワークショップを開いた講師と横浜市には感謝しきりである。
現在舞台を続けている者はわたしを含め僅かなのだが、皆それぞれに人生を楽しんでいるようで。素敵なオトナになっていた。
当時の写真など持ち寄って思い出話をしてみたり、時間が止まった場所に来たような、不思議な感覚。
…と、まぁ、そんな楽しい時間を過ごしたが故に稽古場には大遅刻したのだけどね(苦笑)
ささっと採寸しただけで出番終了してしまった…ミーティング(という名の呑み)の為にあの移動距離を行ったのか!
仕方ない…さ。
久々のバロックダンス講習にタバサさんの新橋スタジオまで。
床にチェス盤をイメージした市松模様のマットが敷いてあり、そのマットからはみ出ないようにメヌエットを踊るのだ。それ以前、もはや踊るのが久々過ぎるわたしはステップがまず危うかったけれど…
因みに今回の集いはアリス・パーティとの名目で、ワンダーランド(若しくは鏡の国?)の住人の扮装がドレスコードではあったが、見事に女王様だらけでアリス不在(苦笑)
わたしに至っては、暑さにめげて派手な格好が出来ず「ワンダーランドに暮らす凡人」というキャラを勝手に作り軽装で赴く。
一通り踊ったあとは、軽食&おやつを戴きつつ、2月のウィンザーハウス舞踏会のビデオを見る。
わたしのカメラで撮ったものもあったので、だいたいの流れは実は見ていたのだけど、
皆で集まっての鑑賞会は楽しい。
素敵な文字入れ加工、記念写真も華麗なFLASHに編集され、見応え充分。
当時は進行を任されていたのだが、流石に吹き抜け2階部分からの撮影ではわたしの声は入らず…次回はマイクを使いましょうと言われた。
次回も司会、で良いのかな?(笑)まぁ、あの場所から踊る皆を見ているのも楽しいのだけど。殆ど玉座の真下なので女王が視界に入らないのだよね…
来年の舞踏会は何を着ようかな、と皆さん年々派手になっていくのだが、折角だからとどうしても着飾りたくなるのだ。
パーティの度にドレスを新調する貴婦人の気持ちも分からないでもない、お洒落したくなるね、貴公子も(笑)
今年の白も好評だったし好きなのだけどね、やっぱり主役カラーなので。
とりあえず帽子は私物で欲しいな。
その後、
一旦城へ戻り、流雨氏に三脚を返して横浜へ…
懐かしきテアトルフォンテの面々との再会。
わたしがあの舞台に立っていたのは…もう12年前の夏。鴨川とはその後もLes Miroirsに客演召喚してちょくちょく会ったりはしていたが、当時以来全く会っていないメンバーも勿論居た訳で物凄く楽しかった!
「仲間」は素晴らしい、なんて暑苦しいが、素直にそう思える、恐らくわたしが最も身を削って創作活動に捧げていた時代の、苦楽を共にした仲間達なのだ。
いや勿論自分の劇団の人々も愛すべき素敵な仲間ではあるのだけどね、やはり座長の立場上で一線引く部分がある訳だよ。
わたしは此処に入るまで、ただの根暗な映画マニアだった(笑)芝居はやりたいが学生演劇をやる気には到底なれず、最初に入った地元の劇団で主宰に文句を言って自分で脚本を書き換えて(いま思い返すと凄い子供だった)辞め、漠然とアートな事がやりたかったのだと思う。
「拘り」や「美意識」を貫くこと、舞台という総合芸術を作り上げるに至るプロセスを教えて貰ったのは此処での約2年弱。幼かった自分にはとても濃い時間だった。
わたしを何故か脚本班に入れたのも此処の講師だが、その流れが無ければLes Miroirsすら存在しなかったかもしれないと思うともう…ある意味原点なのだ。
因みに舞台衣装を自作し始めたのもこの頃から。自作の芝居に既製服で出るのは嫌だった、そんな意識が芽生えたのも此処で自我がはっきりしていったからだろう。
そうやって寝る間も惜しんで必死に作り上げたものも、つまらなければ容赦なく口立てで全て書き換えられるという(苦笑)モノや張り手の飛ぶ稽古場もこの時以来ない…しかしあの本気さは凄かった。
若さ故に加減も知らず、倒れるまで打ち込んだ。
「12年前の舞台」という歴史が自分に存在することに驚くが(笑)
あの僅かな月謝であれだけの(過酷な?)ワークショップを開いた講師と横浜市には感謝しきりである。
現在舞台を続けている者はわたしを含め僅かなのだが、皆それぞれに人生を楽しんでいるようで。素敵なオトナになっていた。
当時の写真など持ち寄って思い出話をしてみたり、時間が止まった場所に来たような、不思議な感覚。
…と、まぁ、そんな楽しい時間を過ごしたが故に稽古場には大遅刻したのだけどね(苦笑)
ささっと採寸しただけで出番終了してしまった…ミーティング(という名の呑み)の為にあの移動距離を行ったのか!
仕方ない…さ。
alf_maria_lully at 23:30│Comments(2)│TrackBack(0)│
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この記事へのコメント
1. Posted by Tabitha July 28, 2012 04:10
いつも華を添えて下さり感謝感激でございます。w
2. Posted by Louis.A August 02, 2012 02:25
Tabitha様
とんでもないです、
此方こそ素敵な企画をいつもありがとうございます。
とんでもないです、
此方こそ素敵な企画をいつもありがとうございます。