December 24, 2015

公演後記「櫟の館」

pays de MIROIR vol.2にて、日替り公演として上演した「櫟の館」について。のマニアックな話多めの振り返り記事。
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昨年、birthday企画として一人芝居×フラメンコギター演奏というかたちでBAR公演をさせて頂いた作品。
珍しくわたし個人主体のイベントだったので、劇団では出来ないような色気のある危うい芝居をしたいなと(微笑)
まさかこんなに早々に再演するとは思わなかったけれど…

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「櫟の館」、タクソスだのヨーク家だの今年何かと縁のあるイチイは、日本では高貴な印象もあるけれど西洋では墓場の周りによく植えられているのだそうだ。
それを知るとあの赤い実の可愛らしさもなんだか禍々しい雰囲気に思えて素敵だなと、わたしのイメージだけで付けてみました。原作には何の記述もありません。

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元はヴィリエ・ド・リラダンの「ヴェラ」という短編小説。偶然見つけた幻想小説・怪奇小説を集めた短編集の中のものを読んで気に入ったのだった。
狂気の物語を、過剰なほどの美しい言葉で、あくまでも冷静に淡々と語る点は秀逸で、勢いでさらりと読めてしまうのだが、読み終えたあとの後味の悪さったら…酷いもの(苦笑)

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プロローグから題にもなっている伯爵夫人・ヴェラが死んでしまっていて、言ってしまえばほぼ結末が予測出来そうな雰囲気がありありと出てしまっているにも関わらず、知らぬ間に世界観に引き込まれて読まされてしまうのだ。
読者にこれほどの恍惚と好奇心を与えておきながら、ばっさり切り捨てるようなあの慈悲の無い終わり方。
あぁ、こういう意地悪な作品、いつか芝居にしてやりたいなと思いましたよ(笑)
映画でも小説でも、こういういかにもヨーロッパな不親切さ(失礼)のあるものって割と好きなのだよね。

ただ、脚本におこす時点で苦戦したのは、字面の美しさとそれを“音”として聴く心地好さは別物であるというところ。気に入っていた描写は極力そのまま使いたかったのだが、如何せん古い日本語訳を読んだせいもあり耳慣れない言葉がとても多かったのだ。
その辺りのバランスを巧く取っていく作業には神経を使った。
芝居向けに観易い構成にする為、朗読の場面や開き直って己の愛の持論を展開し始めちゃうところ、庭園でワインを飲みながら寛ぐ場面など、わたしの創作で追加した。
今回、劇場上演用に多少の改訂は加えたけれど、台詞は殆どそのまま。フラメンコギターに合わせて舞台をセヴィリアにしていたものを、原作と同じブローニュの森近くの屋敷に戻したくらい。

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奏者の佐藤まどかさんには、屋敷の女中長・ルネという役がふられており、これはBAR公演の際も同様に奏者の方に執事長の役を兼任して頂いていた。
原作でも屋敷に一人だけ残される使用人が居るのだけど、物語はその使用人の視点から亡き妻の幻想を見るダトル伯爵(原作ではダトール)の為にさも故人が変わりなくそこに居るように芝居をしてやるうちに自らも狂気に飲まれ葛藤する様を描いているように読める。
台詞は一切無いけれど、実はこの作品の真の主人公とも呼べる立ち位置なのだ。
当初はフルートのみだった筈が、あの素敵なスピネット・チェンバロもご本人の提案で使って頂くことに。
劇中で演奏されていた曲も、全てわたしがシーン毎に雰囲気を伝えたのみでレパートリーの中から出して貰いました。これまたイメージにぴったりなものを持って来て下さる訳ですよ。
素敵な演奏の数々に重ね、立ち居振る舞いでも華を添えて頂いた訳だけど、今回凄いシンクロを感じた出来事があって…
ヴェラが一人で踊っている時に演奏されていたグルックの「精霊の踊り」、実はわたしも好きでこの芝居に合っているなと漠然と感じていて、改定作業の時にもずっとCDを流していたりしたのだけど。得意な曲をやって貰う方が良いだろうと遠慮して特にリクエストはしなかったのね。
なのに稽古場で「こういう曲どうですか?」といきなり演奏してくれて、見透かされたようでちょっと焦った(笑)あぁ、センスが近かったのかと。

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BAR公演の際と一番大きく印象が変わった点は、やはり神剣れいさん演じる実体のあるヴェラが存在していたところ。
此方も朗読の場面以外は台詞らしいものは無いけれど、その場に居るだけで空気に変化を起こす難役。わたしの台詞に合わせて舞って貰う場面もあったけれど、実は演出らしい演出はほぼついていません。巧く纏めて頂いたのだけど、センスにお任せしてやって貰ったかたちです。
なんだかんだとわたしまで一緒に踊ることになり、振り付け丸投げしちゃったのですが、わたし相変わらず表情しか踊っていないので(苦笑)付け合せの野菜くらいに思って貰えていればなと…
10月に「薔薇物語」でご一緒させて頂いたときにも改めて思ったけれど、この方は登場した瞬間に「あ、ヒロインが出た。」と疑いなく思わせるような説得力が凄い(笑)
庭園で蝶を追ったりする場面ではとても可憐なのだけど、亡霊モードに入っている時のなんとも怖ろしく美しい雰囲気も結構好きです。じめじめした怖さではなく、凛とした恐怖を感じるのはヴェラという役に求めていた部分でもあるので。
加虐性が魅力の人外乙女って、わたしの大好きなメロエやクラリモンドの系譜よね。死霊(リヴィング・デッド)、魔女、妖怪の類いは怪奇な存在という物語のセオリーを崩した優美で哀しい印象付け、それをファム・ファタルに結び付けたという点で「ヴェラ」は革新的じゃないかと。少なくともゴーチェはリラダンの影響を受けたと思う。リラダン自体が「未来のイヴ」でもピュグマリオン幻想を抱いている感がみてとれる。ノディエは作中でもアプレイウスの名を語ってあの作品を書いているうえ、年代的にも先だけどね。
冒頭の霊廟の場面、ゲネからずっと観てくれていた髑髏海月さんが「あんなに綺麗な死体見たこと無い!」と絶賛して居られました。墓守お墨付きの死体です(笑)
ご本人が徹夜で作った白いレースのドレスもとても素敵でした。

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そして、わたし。殆ど一人で喋り通しな伯爵だった訳だけど、危険だったのは誤るよりもふと憑かれるような感覚に陥る台詞・役だったこと。
BAR公演の時は、暑苦しいくらい濃くいこうとしていたのね。跳ね回る小娘のようなヴェラを手なずける熱いラテン系(笑/スペインの安易なイメージ…)な設定だったので。本番とかもう、ギター奏者さんとお互い煽り合う一騎打ち状態になりかけていたのだけど…今回は楽器もフルートとスピネットだし、お転婆なヴェラではないし、フランスに戻ってきたし、完全に一人芝居ではないので、バランスは考慮しました。
とはいえ、詩的な言葉の数々、フルートの生演奏と美しい妻が居る訳で、つい気持ち良く吹っ飛びそうな鬼門があるのよ。しかし、意外と一番冷静でいなければならない立ち位置だったのだと思う。わたし普段は割と客席がしっかり視界に入る方なのだけどね、久々に森を見たな…
情緒不安定に見えても、その実このダトル伯爵は全く狂気というものに持って行かれていない。足取りがしっかりしていて迷いが無いのだ。
役者冥利に尽きるような役だったけれど、なかなか精神にきた。
ヴェラ然り、この夫婦の怖いところは物凄く我が強いところじゃないかと。「真実」を創造してしまうほどの信念があるという点。
本来は共鳴しなさそうな性質の二人が惹かれ合ってしまったことが、このなんとも幸福な悲劇の始まりだったのだろう。

そうそう、続けて「trill」にも出演していたので区別する為に…
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珍しく長髪でした。
って、一番長髪感出ていた写真がこれだったので載せるけど、れいさんファンに呪われないと良いな…
因みに小道具で着けていた指環は夫婦ペアだったのだけど、れいさんが指細過ぎて同じデザインのもの探すのが大変だった。


今回再び、劇場という空間でこの演目を上演出来たこと。役者・踊り手・演奏者と各キャストが明確な役割を持って意見や技術を出し合いひとつの作品を仕上げる過程は、良い刺激と安心感があり、本当に凄く勉強になったと思う。
この作品は、Les Miroirsとは切り離したところから派生したもの。
劇団として作品づくりをするのではなく、朝霞ルイ個人として様々な挑戦をさせて頂けた貴重な機会です。
日替わり公演ではありましたがご覧頂きましたお客様、ご協力・お付き合い下さった、スタッフ様方、神剣れいさん、佐藤まどかさん、心から感謝しております。ありがとうございました。


《「trill -トリル- 」編へ続く》

◇所属劇団◇
幻想芸術集団 Les Miroirs

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alf_maria_lully at 10:24│Comments(0)TrackBack(0)

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