December 15, 2017

SALOME

東山義久さん主演の再演版「サロメ」を観て来た。
どうしてもどうしても観たかったので、三日月バビロンのスタッフを1ステお休み…申し訳ない、でも行って良かった!

[画像:5cb7440a-s.jpg]

初演はDVDで観たのみだが、これが物凄く素晴らしくて…上演当時東山さんを認識していなかった自分が“舘形さんがサロメじゃないならいいや”と観に行かなかったのを大変悔やんだ(初演は舘形比呂一さんがヨカナーン役だった)。
つべこべ言わずに観れば良かったのに。
しかし想像付かなかっただろう、どちらかといえば色男風で筋肉質の東山さんを“これは最も美しいサロメ!”と思えるなど…事実わたしは「サロメ」が昔から好きな作品で、バレエやオペラでも観て来た訳だが好き故に誰が演じても納得出来ないところがあった。
ちなみに、わたしがこれまで一番素晴らしいサロメと思っていたのはヴァイオリニストの川井郁子さんだった。実はこれも今回の作品と同じ上田遥先生の振付で、ヨカナーン役を西島数博さんが演じたダンス公演だったが。
思うに、わたしは「サロメ」を具体的に生々しくやられるほど野暮に感じられてしまい、精神性みたいなものだけで魅せて欲しいのだ。戯曲で想像した架空の人物を最早誰も越えられないからだろう。
だからダンスや音楽など抽象的なほうが良いのね。


上田先生も“美しいものを追求すると中性的な魅力に辿り着いてしまうのは古典芸術にも表れている”と言っていたが、
ふと気付いたけれど、中学生くらいだったわたしが「サロメ」の戯曲を読むきっかけになったのは映画の「オスカー・ワイルド」なのだよね。
ワイルドが男色で捕まったのは有名な話だが、その相手であるボジーに“熟れた果実を噛むように、貴方に口付けを…”とサロメの台詞を聞かせる場面がある。
作中でボジー役だったジュード・ロウが、輝くような美男子でだね…コケティッシュとはあまり男性には言わないだろうが、ちょっと小悪魔的な魅力があるのだ。
ワイルドは自分の恋人をモデルに戯曲を描いたとも言われているが、「サロメ」を読んだときに、映画のせいかワイルドはボジーに首を取られたのかという印象を受けた。
そんなことを思い出して…サロメを男性が演じるのはわたしの中では原点に近いというか寧ろしっくりくるのかなとも思った。

東山さん自身も“少女を演じるつもりはない”と言っていたし、あの風貌ではどうしたって少女には見えないうえに敢えて女っぽい仕草をしている訳でもないのに、紛れもなく“サロメ”という存在を体現している点が本当に素晴らしい。
初演のDVDも散々観たが、何故こんなに“サロメ”なのか不思議なくらい。今回の再演版は、更に表現のひとつひとつが繊細につくり込まれていて惹き付けるものがあった。
主演といっても台詞が一切無く、ダンスのみで全てを語る身体能力の高さは勿論なのだが、そういった目に見える以上の華やかさや圧倒的な存在感がこの人の魅力なのだろう。

やっと公演の話になるが…
全体の構成がだいぶ変わっていたので、再演と呼ぶのもどうかといった印象ではあった。初演よりエンターテイメント的な雰囲気が強く、歌や台詞も増えてメリハリのある…のが、わたしには逆に取っ付き難いところがあった(苦笑)前述の通り、野暮ったいというやつね。
確かに「サロメ」の作品自体よく知らないというお客様には凄く分かり易いと思うけれど。マニア向けな初演を経て何故再演が初級編に戻ったのか…恐らくわたしも初演を知らなければ特に気にせず観たのだろうが。

キャストも、より良くなった役と正直初演のほうが好きだったと思う役が半々…
致し方ないが、致命的なのはヨカナーンと少年が初演のほうが良かったことかな。あくまでわたしの好みだが。

ヨカナーン役の高岸直樹さん、元のキャストさんが降板したとかで急遽代役になったようで、元東京バレエ団プリンシパルという経歴の持ち主。確かにダンスの技術は申し分ないのだが…ヨカナーンではないな。綺麗過ぎるの(苦笑)洗練されていていかにも王子様っぽい役が似合いそうな爽やかな方でね。
きっとご本人の持ち味なのだろうという華麗な跳躍など、生命力に溢れ過ぎてイメージではない。
サロメとの“レッド・ヴァイオリン”は、セットが変わって振付もだいぶ違かったのだけど、初演の妖しさが激減して残念。
舘形さん(初演)のヨカナーンは本当に地底に何年も居るような、若しくは霞を喰って生きているような(笑)荘厳で重苦しい神がかった雰囲気で、ふいに現れたサロメに少し動揺するのを抑えつけている印象があって…禁断なムードのデュエットが官能的で、東山さんもなかなか艶っぽい表情をしていたように感じた。
高岸さんは表現がストレートだな。帰れ、穢れた娘〜!って(笑)本当にそういう撥ね付け方で綺麗に跳ぶものだから、サロメが弄ばれているようであんまりにも可哀想。戯曲の台詞は確かにそんな感じだけど、最後に幸せそうなデュエットもあるのに結び付かないな…それとも今回はあれもサロメの妄想という演出なのか?
この役で観ていなければ多分わたしこの人好きなのに、と思えるだけに惜しい。

そして少年役の木村咲哉くん。「ビリー・エリオット」のビリー役だった子で、この子も確かに巧いし大人顔負けのパワーがあるのだが、高岸さんと同じくきらきらし過ぎという意味で「サロメ」の雰囲気ではない印象。
“少年”という役は戯曲には登場しないが、サロメの無垢さを表す存在として居る、義父の宴から逃れてサロメが遊び相手にして寵愛している小姓ちゃん。
初演は三浦宏規くん、これまたしなやかで仔鹿のように軽やかに踊る美少年だったのでどうしても比べてしまうな。
今回はサロメと少年の関係性がかなり変わっていた。初演は冒頭に二人が無邪気に戯れるようなデュエットがあり、技術的にも存在感のうえでも三浦少年が東山さんと互角に渡り合っていてバランスが良かった。サロメが退屈しのぎに少年を誘って初々しくそれを喜ぶ少年が次第に距離を縮めるも、やがてヨカナーンに惹かれたサロメは少年に興味を失い、無惨に親衛隊長に殺される。というのが初演。
今回は少年から猛アタックして花を持って来たり踊ってみせたりするのをサロメが微笑ましく見てるという。美少年的な可愛さではなく、元気な幼児の可愛さなんだな。普段一目置かれる姫様が、無邪気に寄ってくる小姓にだけ心を開くのはある意味正解だと思うけど。
で、この少年は初演より大活躍なのだ。最後までちゃんと生きてる(笑)いや、流石にリアル子供な咲哉くんを刺し殺すのは残酷過ぎて厳しいものがあるが。
小寺さんとタップ対決をしたり、兵士達に混じってアクロバティックなダンスをしたりと見せ場盛りだくさん。今回は健康的な路線なのかと思って観ていたら、まさかの最後でゾッとする演出にこの子を使ってきたのには驚いた。
サロメがヴェールの舞を踊ったあとに、あの人の首を〜♪みたいなとんでもない歌を可愛い声で唄うんだよ。銀の盆を持って。怖い!生々しい!
サロメの無垢さを表現、という演出意図に納得せざるをえん。これをやりたかった故にリアルに子役を出したのか…これはエロド王も参る。

で、そのエロド王役が今回は森新吾さん。
実は再演キャストのなかで一番期待していた、新吾さん絶対あの役似合う。
期待以上、エロドがあんなにセクシーなのは反則だと思うくらい格好良かった。これまた新しい、本来この役はいっそ汚ならしい爺さんでも良いくらいに思っていたが、義理とはいえ娘が東山さんで妻が法月さんならこのくらい色気が無いと成り立たないか(笑)
ダンスに台詞に歌に…劇中最も大忙しなうえに常に欲望全開で暴れまくる役だったが、登場する度に物凄い熱量を客席に放っていた。
サロメとの父娘デュエット、艶やかだった。なんだか寧ろヨカナーンと踊っている時より色っぽい、サロメがちょっと媚びているぶん余計に。

エロディア役、法月康平さん。これまたサロメとは別種の毒婦めいた女性役という印象。
初演は桐生園加さんが紅一点で演じつつも、ガンガン踊りまくってかなり男前だったが(笑)しかし絶妙に男役臭が残っている感じが逆にエロディアには合っていた。
リアル男性の法月さんがどう演じてくるか楽しみだったが、思ってた以上にクセ全開できたなと。ヴィジュアルで全く原型が無いくらいナチュラルに(?)貴婦人風だったが、芝居はかなり特徴的につくってきていた。愚かしかった…悪女役を俳優さんが演じる図は良い。女性がやるより一層いやらしくて毒々しい。
全体的に初演より計算高くて強い。サロメに惹かれるエロド王を初演の園加さんは自分に振り向かせようと躍起になって媚びるが、法月エロディアは王に悪態をつく傲慢さ。キャストに合わせて変えたのだろう。
艶のある歌声も良かった。歌詞のなかに“ドゥエンデ”という言葉が何度か出てきたが、上田先生の好きな言葉なのだろうな。川井郁子さんがサロメを演じた時の公演タイトルも“Duende”、魔性・小妖精・鬼気迫る表現や恍惚の境地を意味する言葉。

初演からの続投キャストだが、今回特に目を引いた親衛隊長役・長澤風海さん。
王国を仕切る、死と恐怖の象徴的な存在をクールに演じていた。
剣を使ったアクロバティックなダンスが美しかった。


全体を通して、今回の再演で格段に素晴らしくなったのはヴェールの舞の場面。
舞台上に張り巡らした様々な色の紗布の間を縫うようにサロメが踊る。無彩色な印象の衣装やセットを使った劇中で最も華やかな場面だった。美しい。

最後の“インスティクト・ラプソディ”から“ヴァイオリン・ミューズ”をまるまる一人で踊りきる東山さん。
これは初演から振りも演出もほぼ変わっていないと思うのだが、客席で観られた感動と再演でより研ぎ澄まされた表現力が相まって、ただ呆然と魅入ってしまったな。
圧巻。映像で観たときに、最初はあんなに生首を振り回しながら踊り狂うなんて凄いなと思ったのだけど。サロメがあまりにも無邪気に笑うので、最早そんなこと考える次元じゃないのねと。
突き抜けた純粋さを持つサロメが、恋に恋したのと同じように歓びに歓ぶ恍惚のなかに居る。天井から静かに降り注ぐ砂の柱(塩なんだそうだが)が、昇華する想いや、ゆっくりと崩れていく現との境界を表しているよう。
この東山さんのダンスは言葉が聴こえるようにひとつひとつの振りに感情の揺れを感じるが、それが次第に言葉や台詞でなく歓喜の叫びに近いものへ変わっていく印象。
手の中に収め永遠に自分のものとなった愛しい人を、それでも確かめるように何度もかき抱いたかと思えば振り回したり、望んだ唇に触れるまでじっくりと歓びを噛み締め自身を焦らしながら、それが極上に感じる高みまで昇り詰める。
ラスト近く、生首を口に加えて微笑むサロメは、少女や子供というよりは動物的な野性味すら感じる。
踊りながら様々なものが脱ぎ捨てられて開放的になっていくような、最後には人ですらなく肉体から飛び出した魂だけが漂っている状態になってしまったのではないか。
サロメはきっと殺されてしまっても分からないのだろう。けれど、生きていたとしてももう戻っては来られないのかもしれない。

“サロメを殺せ”というエロドの台詞でこの作品は終わる。
その声すら聴こえず恍惚の表情でヨカナーンの首を抱くサロメを中央に残したまま幕が降りる。
ここも作品で別れるが、サロメの死体を運ぶところまで見せてしまうものもあるよね。あれは好きじゃない、王命より前にサロメは既に地上に居ないのだから。
この上田版「サロメ」は再び“ヴァイオリン・ミューズ”の流れるカーテンコールで、サロメとヨカナーンのデュエットがある。これが短いけれど非常に美しい。光に向かって昇華するようなあの曲にも合っている。
サロメを愚かな悲劇だとすることは簡単かもしれない。狂気には違いないが、穢れを知らぬからこそ突き抜けた境地まで至ったと思えば彼女には幸福な話だろう。この神々しいまでのカーテンコールの流れが、サロメの魂を穏やかに見送っているようで胸が熱くなった。


初演や戯曲のことまで引っ張り出して長々書いたが、総じて初演とは別物だった。ちょっと思うところはあったけれど、やはり生の舞台で観る感動には変えられない。観に行って本当に良かったと思う。



◇所属劇団◇
幻想芸術集団 Les Miroirs

↓please click↓

alf_maria_lully at 16:04│Comments(0)

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
profile

朝霞ルイ

Archives